We are Caritas No.15

We are Caritas No.15(2019年2月号)ができました。

We are Caritas は年3回(2月、6月、12月)発行しています。

ご希望のかたは事務局までお知らせください。(無料)

 

カリタスジャパン啓発部会では、約10年前より「自死と孤立」をテーマに活動してきました。当時は国による自殺対策も始まったばかりで、カトリック教会でも全国的な自殺・自死に関する実態は明らかでなく、アンケート調査を実施して結果を冊子にまとめ全国に配布しました。

その後、NPO団体や仏教などの諸宗教者、既に自殺問題に取り組んでいた韓国の関係者とも交流しながら、全国で「自死と孤立」について勉強会やセミナーを開催して分かち合い、誰もが身近な人の死にたいほど辛い気持ちに対して「ゲートキーパー」となれるよう、「いのち支えあう連続セミナー」も実施しました。

今日、自殺・自死の問題は、以前よりは社会的課題として扱われるようになってきたものの、いまだ多くの人がそこへ追い詰められるように排除されています。そこで私たちは「排除のない多様性社会を目ざして」というテーマで活動を継続し、まず身近な生活の中にある現実を共有することから始めました。本号に「四旬節×啓発部会に寄せられた声」として内面で紹介している実例からは、具体的に経験した排除を多くの人に知ってほしいという思いが読み取れます。

四旬節にあたり、笑顔で両手を広げる教皇フランシスコの呼びかけに応えて、現実を映したこれら一つ一つの「声」に耳を傾け、ともに考える機会にできることを願います。

宮永 耕(カリタスジャパン啓発部会秘書)

 

四旬節×排除ZEROキャンペーン 啓発部会に寄せられた声

争いのない、自由で平和な社会は、私たち人間が目指しているところだと思います。しかし近年、私たちの社会では、特定の民族や国籍の人たちなどを誹謗中傷したり、自身の配慮を欠いて、無意識のうちに様々な形で様々な人を、社会から、自分たちの仲間から排除しようとする傾きが私たちの中にあります。排除とは何なのか。排除をなくすために何ができるのか。どこに問題があるのか。皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

以下の啓発部会に寄せられた声に耳を傾け、一人ひとりの命の尊厳、人と人とが互いに支え合う絆の大切さ、お互いの人権を尊重し多様性を認め合うことの大切さについて、もう一度皆さんといっしょに考え、復活祭へ向けての良き準備となる一助となれば嬉しく思います。

生きづらさを抱えて

私は、戸籍上は女性ですが普段は男性として生活しています。将来は戸籍も変えたいと思っていますが、カトリックではそれは罪に当たるのか結婚してもそれは秘跡になるのか分かりません。洗礼は神父様の了解で男性として受けました。教会内では私の戸籍上の性別を知っている信徒さんはいないです。おおっぴらにカミングアウトはしたくないですが日々もやもやしたまま教会に行っており、その不安もあってミサ以外の青年会や奉仕などの活動に参加したくても躊躇してしまっています。

教会で、神父と一部信者から暴言を受けました。元々うつ病気味だったので、あまりしゃべらないのと、コミュニケーション能力が上手くないからなのですが、人格を否定するようなことを何度も言われました。しんどくなかったら抵抗することもできたでしょうが、しんどくて抵抗する気力もありませんでした。その後、半年以上もトラウマに苦しみました。何故、人にはいろいろ事情があるのに、全てわかっているかのように憶測で判断し暴言を吐いてくる神父や信者がいるのでしょうか?助けを求めても罵倒され、地獄でした。

私は立ち居振る舞いと言葉遣いが悪いせいで、人を怒らせて教会に行けなくなりました。私は友達ができなかった過去があるせいか、人一倍それらについて怒られることが多いのです。昔私はいつも家族を怒らせてばかりで、それは多分立ち居振る舞いや言い方のせいだったかもしれないけど、つらかったです。それで怒られてオシマイで、人を不快にさせない言葉遣いについて独りで努力するばかり。このことに関しては独りの努力では厳しいと感じています。

私は元受刑者です。そのことを公にしたところ「何の罪を犯したのですか」「近寄るな」と信徒の方たちに言われました。自分の仲間も同じような体験をしています。また刑務所にいる受刑者から「教会に手紙を出しても返事さえ来ない」と聞きます。元受刑者も、社会復帰したら同じ人間です。初対面の方から過去のことを問われる必要はないと思います。とても傷つきます。聖書の学びに対しても元受刑者が参加するのを嫌がるところが多いです。

ある男性に、信者の皆さんの前で「あなたは話しづらい。存在感がないんだよね」と言われました。幼少期から吃音が少しあり、話下手な私でしたが、教会での今までの努力が水の泡となった瞬間でした。他の皆さんはただ黙っているだけでした。惨めになり、涙が出ました。食事会でも私の両隣りはいつも席が空いておりました。その他色々辛いことをされて、教会にもいじめがあるのだと確信し、その教会を離れ今に至っております。

 

columnコラム

30数年前に日本カトリック障害者連絡協議会(以下、カ障連)が全国の障害当事者へ実施した
アンケートの資料が出てきました。「『祈りの妨げになる』という理由でミサ中の動作の
案内が少なくなってきているが、視覚障害者には周りの判断が出来ない」「主任司祭から
『健康な体でないと健全な信仰は持てない』と目の前で言われた」「教会は障害者に対して
ほとんど配慮がなく、障害者は教会に来てはいけないような気持ちを味わされることが多い」
「子どもが重い知恵遅れのため、教会に行っても大きな声は出す、多動、皆さんに迷惑を
かける。教会へ連れていけなくなり家族もだんだん遠のきました」とありました。今は
どうなのでしょう?
この30年の間には、社会の障害に対する考え方も変わり「障害とはその当事者の肉体的な
問題ではなく、社会環境が障害を作っている」という「社会モデル」へと変わってきました。
2017年に行ったカ障連のアンケートでは、教会に障害者がいると答えた教会は1.1%でした。
日本の一般障害者率は5.6%(世界の障害者率は10%)であり、あまりに少ない数字です。
本当に教会の中に障害のある人はいないのでしょうか?
声を出せないでいる人々が一人でも多くカ障連とつながり「完全参加と平等のミサ」に与り、
イエスのみことばに包まれて「生まれて来て良かった」と思える日がくることを願って
やみません。

日本カトリック障害者連絡協議会 会長 江戸 徹

 

カトリックの教えと現実とのはざまで

友人から聞いた話ですが、告解場で神父から「あなたは地獄に行く」と言われたそうです。また、他の友人からは「離婚・再婚のためにミサにあずかれない」と聞きました。教会が七つの秘跡を尊重するなら、なぜ秘跡について広く、深く解釈しないのでしょうか。倫理道徳を解くカトリック教会にはもうウンザリです。キリスト教の本来の最終目的は「絶対なる救済」にあるはずです。司祭のハラスメントが常に、堂々と行われています。カトリック教会の上層部の猛省を望みます。

その人は、教会で降誕祭に洗礼を授かる予定でした。しかし、同性愛者であり、同性パートナーと生活をしていることを神父様に事前に打ち明けたところ、「洗礼することはできない」と数日後に回答されました。その人は幸い、その後、理解ある他の神父様によって、カトリックの洗礼を授かることができました。

私は、数年前に洗礼を受け、同時期に離婚をしました。入門講座の担当だったシスターから「あなたは洗礼を受けるのが早かった」といわれ、代父母との間が険悪になり、所属教会から足が遠いてしまいました。引っ越し後、所属教会ではなく、近所の教会に足を運んでいますが、誰との交流もなく、共同体の一員であるという意識を持ち得ていません。

日本の教会はミサの聖変化などの時の跪きや、口での聖体拝領を禁止していますが、これこそ典礼の多様性の排除ではないでしょうか。

 

columnコラム

ここに挙げられた例のようなことが「常に、堂々と」行われているかどうかは別にして、
教義や法を盾に取った司祭によるハラスメントについては、司牧に携わる者の謙虚な
反省と自戒が必要であると思われます。なぜなら、司祭は教会の中で一定の権威を
預かる者だからです。司牧者が法や規則などを適用する際は、教皇フランシスコが
強調されるように、愛を第一にした司牧的配慮が求められ、そのための生涯にわたる
研修が望まれます。ちなみに、離婚・再婚のために教会共同体から排除され、ミサに
あずかれない事はありません。

啓発部会

 

同じ信仰の道を歩んでいるのに

以前所属していた教会では、古くからの信徒とその知り合いからなる信徒会の役員で固まっており、知り合いのいない人間にはその輪に入れない雰囲気が漂っていたので、仕事のせいにして教会から20数年間も離れてしまいました。積極的で行動力のある人なら、何のこだわりもなくみんなの輪に入れるのでしょうが、誰でもそういう風にはなれないと思います。これが目には見えないけれど排除の実態だと感じていますし、こんな小さなことから排除に至っているのではないかと思います。

仮放免のスリランカ人が生活に困って、教会に行って助けを求めたが、追い返されたと電話してきました。自分たちと関わりのない人として冷たくあしらわれたそうです。とても残念に思います。

外国人が日本で生活している中で直面している現状に関して、全く無知のまま、というより知ろうともせずに「日本のやり方」なるものを押し付けられます。

20代後半の時、他の兄弟姉妹(信徒)に心無い言葉や相当なプレッシャーを浴びせられました。特に団魂世代の長老は言葉の暴力は当たり前で、全人格を否定されました。今の教会に行けるまでに長い時間がかかりました。

知人が教会の許可を得、教会の一室を借りて、日曜日のミサ後、ベトナムから働きに来ている青年数人に日本語を教えていました。ある日、神父らしい方が来られ「使わないでくれ」と強い口調で言われたようです。別の教会を使わせて頂くという話も出ましたが、部屋の使用に十数件におよぶ条件が出され、とりやめになりました。

小学2年と幼稚園の母です。主人の転勤により教会を変わりました。日曜学校に行ったのですが、居場所がありません。上の娘が初聖体を受けていないのでこどもミサには参加できないのか、説明もなく、隅に座るように指示され、本人もどうしてよいかわからず、日曜学校に行きたがらなくなりました。

大きな教会で、聖堂に入ると数人から窺うような目線を向けられ、居づらい思いをしました。騒がしくしていたわけでもなく、靴の音もうるさくないように精いっぱい気を付けたつもりだったのですが…。あまり見ない顔だと不審な感じがするのでしょうか。教会は誰にでも開かれた場所であると思っています。初めて見る顔であってもあまり気にすることなく話しかけて頂くか、いつも通りにしていただきたいと感じました。

教会の奉仕において、わからないことを質問すると「あなたは信者として浅いから」「〇〇さんは名前が名簿にないから奉仕できません」と無視されました‼意見を言わせてもらえません。

若い世代が教会にいません。信仰はあっても共同体となると、個人同士の摩擦で参ってしまう。人間は違いがあるという前提に立つことがまず大切だと思います。

身体が不自由になったご主人の為長年タクシーでミサに通われ、そのご主人を天国へ見送ったある女性のことです。教会にいつもきれいにお花を飾って下さっていました。神父様にも寂しい思いを良く話されていたようです。そのことを非難されたようで、今では全く教会に来られていません。別にお花代を要求されたわけでも、誰に迷惑をかけたわけでもなく、ただ「目ざわりだ」という理由です。色々な思いを持って教会で神様に癒され、また元気になって生活に戻るのに人間を恐れて教会へ行けないなんて悲しいです。

そのほかに、社会正義の名の下に反改憲、反原発、在沖米軍基地運動などの問題ばかりが取り上げられ、そこで生計を立てている人、携わっている信徒が教会へ行きにくくなっているという事例や、司祭からの性暴力、暴言や罵声などで教会に行けなくなってしまった事例、司教、司祭などが消極的な関わりや態度を取ることによって、排除や差別を助長してしまっている事例や声などがありました。

紙幅の都合上、掲載できなかった声がありましたことをお詫びするとともに、勇気をもって声をあげて下さった皆さんに感謝いたします。

 

排除ZEROキャンペーン

リレー写真展

キャンペーンをテーマにしたリレー写真展を企画しました。各教区で右の通り実施します。
時間、場所など詳細は追ってお知らせします。皆様どうぞお越しください!(入場無料)

  • 3月3日(日)〜3月31日(日)長崎教区、京都教区
  • 4月7日(日)〜 5月5日(日)高松教区、東京教区
  • 5月12日(日)〜6月9日(日)鹿児島教区、横浜教区
  • 6月16日(日)〜7月14日(日)那覇教区
  • 7月21日(日)〜8月18日(日)広島教区、札幌教区、さいたま教区、大阪教区(2.27開催時期変更)
  • 8月25日(日)〜9月22日(日)新潟教区、大分教区

 

名古屋教区写真展を振り返って

昨年12月23日からクリスマス、年末年始をはさんで北陸ルートと東海ルートの2コースで実施した写真展は1月20日に終了しました。講話、分かち合い、ビデオ鑑賞など教会ごとの取り組みで、多くの人に「きっかけ」を提供しました。ある教会学校ではクリスマス前の「イエス様を待つ会」でシスターの協力により「排除」について一緒に学び、子どもたちはそれぞれの実生活から考え、分かち合いの後全員で「リンゴの木(*写真)」を作成し、学んだ後の生活に活かせるようにと祈りを深めました。

各教会で外国にルーツを持つ人も「教会が出発地である」など多くのメッセージを寄せ、参加者からも「お互いを知ることから始めたい」などの声が寄せられました。

見平 隆(名古屋教区カリタス社会福祉委員会)

魚津教会での分かち合い

 

 

 

 

 

 

 

福井教会でメッセージを書いてくださる方々

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたの町の「カリタスさん」(キャンペーン編)

今回は、ブラジル人ほか多数の外国人を擁する安城教会(名古屋教区)について、同教区難民移住移動者委員会のメンバーでもある村上満一さんにご紹介いただきます。

ミュージックフェスタ

安城教会は、困っている人、助けを必要としている人をサポートし、支援の手を差し伸べることをモットーに毎日を送っています。

1985年5月に献堂式を挙げた当初から、カノッサ修道女会のシスター方と一緒に外国人に日本語を教え、彼らが日本の会社で問題なく働けるように手助けをしてきました。その後2003年に外国人を支援する三河カトリックセンターが開設され、より頻繁に外国人たちと関わるようになりました。手助けの内訳は、日常生活の困り事相談から、交通事故や労働災害の交渉など、浅く広く何でも関わっています。

フェスタジュニーナ

特に最近では、日々報道される技能実習生にも関わり、彼らが少しでも楽しく仕事が継続できるようにアドバイスや相談に応じています。大事な日本の働き手となっている彼ら外国人に、これからも思いやりや気配りの心を忘れず、支援の手を差し伸べ続けていく覚悟でいます。

 

 

 

四旬節「愛の献金」キャンペーン

今年も3月6日の灰の水曜日から四旬節が始まりました。「愛の献金」にご協力よろしくお願い致します。資料は灰の水曜日までに各小教区などにお送りしています。追加など必要な場合はお問合せください。

黙想会

期間中、「排除ZEROキャンペーン」をテーマにして黙想会を行います(カリタスジャパン共催)。お問合せはカリタスジャパンまで。

  • 3月10日(日)10:00〜13:30  松山教会(高松教区) 指導:瀬戸高志神父
  • 3月17日(日)10:00~15:00  丹後教会(京都教区) 指導:瀬戸高志神父
  • 3月24日(日)9:00〜12:00  高幡教会(東京教区) 指導:瀬戸高志神父
  • 3月24日(日)11:00〜15:00  市川教会スペイン語コミュニティ(東京教区) 指導:イグナシオ・マルティネス神父
  • 3月31日(日)10:00〜13:00  千葉寺教会(東京教区) 指導:瀬戸高志神父
  • 4月7日(日)10:00~15:00  上田教会(横浜教区) 指導:瀬戸高志神父
  • 4月13日(土)19:00〜21:00・14日(日) 9:00〜12:00  諏訪教会(横浜教区) 指導:瀬戸高志神父